給食調理員のおばちゃんたちが、余った給食を食べていたとして問題になったことがある。また最近では、教師が持ち帰っていた。
余り物を食べたくらいで、目くじらを立てるほどのことなのか。「もったいないから、別にいいじゃん」と思う人も多いだろう。私もそう思う。
だが、ゆるい規則はやがて崩壊する。「余った時は食べても良い」としてしまうと、わざと多めに作る人が出てくる。その場で食べるだけではなく、夕食用にと持ち帰る人も出てくる。
人の欲はどんどんエスカレートするもの。だから、曖昧な規則では歯止めが利かない。根本的な部分を断ち切るしかない。これまで通り、「食べてはいけない」「持ち帰ってはいけない」という規則を徹底させなければならない。
この件以前にも、余り物だけではなく、食材を持ち帰ったり、食材を自分用に余分に発注していた事案もある。情けない話である。
昔の“給食のおばちゃん”のイメージは崩壊してしまったようだ。子どもたちの喜ぶ顔が見たい、という純粋なおばちゃんの気持ちはどこへ行ってしまったのだろうか。
……と、過ぎたことを嘆いていても仕方がないので、問題点を洗い出し、解決策を考えねばなるまい。
「食べること」「持ち帰ること」をすべて禁止するのは良いが、廃棄してしまうのは、社会的に問題がある。食べられるものを規則だからと捨ててしまうのは、もったいないし、子どもたちの教育にも悪影響を及ぼす。
そこで私から提案。どうしても出てくる余り物は、調理員や先生で購入してはどうか。廃棄するのは良くないので、いくらかでも給食費の足しになった方が良い。
市場価格より若干安くすれば、買いやすいだろう。安過ぎると、また、わざと多く作る人が出てくるので、適正価格にしなければならないが。
あるいは、もっと多く作って、近隣住民に販売してはどうか。「給食弁当」。学校を知ってもらうことにもなるし、給食の話が、子どもたちと地域住民とのコミュニケーション手段にもなるかもしれない。収益は、そのまま給食費として活用すれば良い。
子どもたちにも給食のアイデアを出してもらうようにすれば、食育にもなる。加えて、販売にも参加させれば、経済の勉強にもなる。
ガチガチ教育委員会が、そこまでやるとは思えないが。まずは、教育委員会の改革から始めなければならないか…。
余り物を食べたくらいで、目くじらを立てるほどのことなのか。「もったいないから、別にいいじゃん」と思う人も多いだろう。私もそう思う。
だが、ゆるい規則はやがて崩壊する。「余った時は食べても良い」としてしまうと、わざと多めに作る人が出てくる。その場で食べるだけではなく、夕食用にと持ち帰る人も出てくる。
人の欲はどんどんエスカレートするもの。だから、曖昧な規則では歯止めが利かない。根本的な部分を断ち切るしかない。これまで通り、「食べてはいけない」「持ち帰ってはいけない」という規則を徹底させなければならない。
この件以前にも、余り物だけではなく、食材を持ち帰ったり、食材を自分用に余分に発注していた事案もある。情けない話である。
昔の“給食のおばちゃん”のイメージは崩壊してしまったようだ。子どもたちの喜ぶ顔が見たい、という純粋なおばちゃんの気持ちはどこへ行ってしまったのだろうか。
……と、過ぎたことを嘆いていても仕方がないので、問題点を洗い出し、解決策を考えねばなるまい。
「食べること」「持ち帰ること」をすべて禁止するのは良いが、廃棄してしまうのは、社会的に問題がある。食べられるものを規則だからと捨ててしまうのは、もったいないし、子どもたちの教育にも悪影響を及ぼす。
そこで私から提案。どうしても出てくる余り物は、調理員や先生で購入してはどうか。廃棄するのは良くないので、いくらかでも給食費の足しになった方が良い。
市場価格より若干安くすれば、買いやすいだろう。安過ぎると、また、わざと多く作る人が出てくるので、適正価格にしなければならないが。
あるいは、もっと多く作って、近隣住民に販売してはどうか。「給食弁当」。学校を知ってもらうことにもなるし、給食の話が、子どもたちと地域住民とのコミュニケーション手段にもなるかもしれない。収益は、そのまま給食費として活用すれば良い。
子どもたちにも給食のアイデアを出してもらうようにすれば、食育にもなる。加えて、販売にも参加させれば、経済の勉強にもなる。
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